衣擦れの音がする。
そして、嘲笑。
「…っぐぅっ!」
自分の声すら、遠い。
もう何度目かわからぬほど繰り返された行為は、いつまでも苦痛を生み続けてはいたが、今ではそれに抗う気もなくしてしまった。
ぼんやりとかすんだ意識のまま、ただこの時間が過ぎるのを待つだけだ。
…だが、今回は。
「……何を…している……!」
低く唸るような声に、信じたくない現実が目の前に突きつけられたことを知った。
『 Fall Down 』
その日、周泰は明日から始まる次の戦への準備をようやく終え、夜遅くに居城に戻ったところだった。
遠呂智軍から離反した孫策らを討てとの命に従って討伐軍を編成していた孫権軍は、いまだそれを果たせずにいた。
先日の関ヶ原での交戦は、大軍を率い相当のところまで追い詰めたものの、結局は孫策を取り逃がしてしまったのだ。
次こそは、必ず勝たねばならなかった。
無論、周泰も孫権も、孫呉の将兵も誰ひとり望んで戦っているわけではない。
しかし、本来の呉主である孫堅を人質にとられていては逆らえるはずもなかった。しかも、かつてのように人質の解放を餌に、ではなく、人質の命を繋ぎとめたくば、とあからさまな脅しで戦果を求められているのだ。
だがそうしてやむなく至った今までの幾度かの競り合いの中で、孫策軍に降った兵も数多くなった。もはや部隊の編成に、同じく遠呂智に組している魏軍や遠呂智軍から兵を補充するしかなくなったため、出陣ぎりぎりまで調練を重ねていたのだった。
「…………」
未明に発つことになる周泰は、しかし曲がり角で少し思案した後、自室に戻りはせずに歩みを進めた。
この時間、主君はもうすでに休んでいるだろうが、もしも起きているようならば、出立前の挨拶をしておこうと思ったのだ。
居室と執務室とが繋がった孫権の部屋は、回廊を抜けた奥にある。
孫呉が遠呂智の属国になって、もともと都であった建業の城は遠呂智軍に没収されてしまった。城下の屋敷なども当然今はなく、居城に指定されたやや小振りのこの城建物に君臣が共に寝泊まりしている。主家である孫一族と、おもだった将には城内の部屋があてがわれ、その他の兵は城の隣に併設された兵舎に詰めている。
この世界になる以前も、戦の時は砦や出城でそうした生活になることはあったが、今それと違うのは遠呂智軍の監視下にあるということ。
一軍として効果的に動くことを可能にするため、完全に遠呂智軍に組み入れられるのではなく『孫呉』としての自律性は残されていたが、こと孫策離反後は制約が厳しくなった。
昼はずっと討伐戦や軍議で詰めているからともかく、夜に、反逆の企みを図ることを警戒しているのだろう。将らはそれぞれに与えられた居室に半軟禁状態にされていた。
このように夜半、城内を歩くことも久しぶりだ。
前線を形成するための先発隊はもうすでに合肥へと向かっており、順次出発する部隊で騒然としている城門前と対照的に、多くの兵が出払って閑散とした城内奥の廊下に響くのは周泰の静かな足音だけ、のはずだった。
「……?」
それは、常人では聞き逃してしまうようなごく微かな音であったが、周泰の耳には何かが届いた。夜中とはいえ、起きている者もいるだろうから物音くらい不思議ではないが、そこになにか不穏な空気を感じ取って、周泰はそちらに意識を向けた。
数人の話す声…そして、くぐもるような、しかし確かに聞き覚えのある響き。
そっと足音を忍ばせながら、周囲をうかがうと、薄く光の洩れる部屋がある。
わずかにだけ開いた扉の隙間から、中の様子が目に映った瞬間、周泰はためらいなく扉を開け放った。
「…………!!」
そして、それを、見たのだ。
そこにはいくつかの蠢く影。
暗い部屋の中には、小さな牀台の他はがらくたが散らばっているだけで、たいしたものは置かれていない。床には薄汚れた敷布が一枚。その上に、数人の男が妙に密集して立っている。
「ん?」
一斉にこちらを見る顔は、ひとつふたつ…全部で5つ、いや、6つ。中央に4人と、少し離れた床に座っているのが1人、牀台に腰掛けているのが1人。
むっと鼻につくほこりと汗と、体液のにおい。
「……貴様ら……何を……」
周泰の目の前に、突きつけられたそのおぞましい光景。
普段からごく簡素なものしか身に纏っていない男らは、今はさらに下衣の前をくつろげ、中には全裸の者もいた。
そして、その中心で、やや前屈みで膝立ちになっている一人の姿。
背後の男の下腹が、折り曲げられた腰の下に回りこむように密着させられている。
肩幅に開かれた両足の間、内腿が薄く濡れて光っている。
細かにわななく唇とその周囲の頬に白濁の雫がねばり付いている。
蝋燭の火に照らされて赤く透ける髪は解かれてぱらぱらと体の前に散り、ほんのりと汗ばむ肌は白さのうちに痛々しいほどの血色をたたえている。
灰色の肌と青白い頭髪の、人間ではありえない容姿をした男どもに囲まれた中で、その鮮やかな色彩はひときわ美しく際立っていた。
先ほど自分が吐いた言葉とは裏腹に、問うまでもなく、今ここで何が行われているのかは明白であった。
「……しゅう…た…い…」
遠呂智軍の兵士に取り囲まれ、犯されているのは、紛れもなく、己の主、孫権だった。