絆
処刑を受けるだろうことはわかっていた。
	遠呂智軍に戻ってすぐ、拘束され、そして今、処刑地そばの牢に連れてこられていても孫権は落ち着いていた。
大きくなったな、権よ。
	孫堅は隣で静かにその時を待つ息子を、頼もしいものを見る目で見た。
	諦めているのではない。
	むしろ、自らの意思によって道を選んだ気概が感じられた。
	虎の牙は、確かに子供ら全員に受け継がれている。
	自分と孫権がここで果てようと、その志は孫策と尚香になんらの不安なく託すことが出来る。
孫権もまた、同じように思っていた。
	小覇王と呼ばれる兄。その力と想いは、対峙してみて改めて実感した。
	ならば私は私のなすべきことを。
	ゆっくりと瞳を閉じる。
	長身の護衛の顔が浮かんで、密かに笑みをもらした。
	いまごろ、孫策の元でようやく『不本意でない』戦に従ずることが出来ているだろう。
	あるいは今この瞬間、私のことを考えてくれているだろうか?
	切なく、暖かい想いが孫権の胸の内に広がった。
	…周泰。今まで、世話になったな。
	まさか自分が先に死ぬとは思っていなかったけれど。
	異世界でこんな風に死ぬのも予想してなかったけれど。
	誇れる兄に孫呉を託すことができ、自分の役割を果たし、孫呉のために死ねるのだ、悔いはなかった。
	そして。
	以前、周泰に言ったことがある。
	自らの信じるもののために戦うことになんら後ろめたいところなど無いが、それでも、民の、将兵の命を数え切れぬほど失わせてきたのだから、私は死んだらきっと地獄に行くのだろうな。
	さらには今。
	兄を疑い、父を結局死に追いやり、妹を悲しませ、臣を苦しめた自分は、もはや間違いなく地獄行きだけれど。
	寡黙な男のあの言葉。
『……地獄までも……従う覚悟なれば……』
彼がいれば、黄泉路さえ、何一つ怖くは無かった。
	きっとお前は地獄でも私を守ってくれる。
妲己よ。董卓よ。
	貴様らにはわかるまい。
	私には、己の全てを預けられ、己に全てを捧げてくれる愛しき存在があるのだ。
	どんなときでも、どんなところでも、私を護る忠義の守護神が。
	だから何も怖いことなどない。
微笑みさえ浮かべて静かに座していた孫権に、だがそこで声がかけられた。
「…逃げよ。」
	すぐ後ろで聞こえた声に、孫権ははっとして目を見開いた。
	ぱらりと縄の解けるのを感じながら振り向く。
『…お逃げを…』
一瞬、彼が見えた。
	牛渚での、あの、彼の姿。
「…半蔵。よくぞ来てくれた。」
	幻影はすぐに消え、
	孫堅の方の縄を切り終えて退路へと促す半蔵に、声をかける。
	今はもう、あのときの自分ではない。
	父や兄を越えられぬとも、自分なりに孫呉を支える力を培った。
	強き絆の、臣たちと共に。
だけどそれは、かつて全身に傷を負いながら彼が自分を救ってくれたからこそなのだ。
少し進んだところで、半蔵は忍にしか通れぬ道を行くらしく、孫権らに道を示して自分は脇へ逸れた。
	「すまなかったな。」
	礼を述べた孫権に、半蔵が言う。
	「…影の存在、主が生あればこそ。
	  …あの男、また然り。」
…あぁ。
孫権は笑んだ。
泣きそうな、
	嬉しそうな、
	嫣然と、
	凛と、
	切なげに、
	堂々と、
	けれどそのどれともいえぬ顔で。
現実主義の彼のこと、たとえ孫権が死んだとしても、後追いなどしないだろう。
	孫権と、彼自身の志、すなわち孫呉の天下のため、戦い続け、そしてその中でいつか死ぬのだろう。
	だがひとたび自分が望めば。
『……地獄までも……従う覚悟なれば……』
どこまでも、共に。
それは決して望んではいけないこと。
	けれど望みさえすれば必ず叶うこと。
私が彼にそれを命じることは未来永劫決してない。
	だけど、あぁ、なんて強い、心の支えだろう。
半蔵がいぶかしげに顔を顰めた。
	孫権は、一瞬目を伏せ、次の瞬間には晴れやかな君主の顔で言う。
	「そうか。ならばやはり、死ぬわけにはいかんな!
	 父上、参りましょう。
	 われらが虎の誇り、生きて奴らに突き立ててやりましょうぞ!」
どれだけ追っ手が来ようと、もはや孫権は生還を疑わなかった。
	父と、兄と、妹と、臣たちと共に、敵どもに見せつけてやればいい。
孫呉の絆を。
誰にも断つことの出来ぬ、この絆を。
-終-
******
	(以下、おまけのような?)
…あの顔。
自陣に戻る道、半蔵は思い出していた。
	周泰という男の忠義、その主と共に生き共に死ぬだろうと伝えた時の、
	孫権の、あの妙な笑顔。
…解せぬ。
臣を道連れにすることを喜ぶような人間には見えなかった。
	現に、その一瞬後、孫権はこう言ったのだ。
	「そうか。ならば、やはり死ぬわけにはいかんな。」
	と。
	そのときには、紛れも無く君主の表情であった。
	言葉に、偽りは微塵も感じられなかった。
	ならば何故。
…詮索無用。
ふ、と半蔵は頭巾の中でわずかに口を引き上げる。
	自分はただ己が任務を果たせばよい。
	将器に優れた父子らの、全員が揃った孫呉はさぞかし強きことだろう。
	それも、生きる時空の違う我が主や自分には結局関係の無いことだが。
	ただ、今は。
	孫呉の絆、見届けてやろうと思う。
	主もまた、それを望んでいるようだ。
ひときわ速く駆けた半蔵が本陣に帰還し、
	孫堅父子救出の報告が孫策と孫尚香と孫呉の将たちに届けられたのはその後すぐだった。
-終-