それから、しばらくたったある朝、いつものように王子の部屋の前へ参じると、出てきた王子はどこか嬉しそうな様子で、普段よりも数段豪華な衣を纏っていました。
「おはよう、泰。…あのな、今日は、私の妻となるひとに会うのだよ。」
ほんのりと頬を染めて言う王子に、魚は胸の奥が締め付けられるようでした。
「おまえと出会う少し前だったか、嵐に遭って川に溺れたことがあるのだ。そのとき、運よく川岸に流れ着いた私に気づいて、家に連れ帰り看病してくれたひとでな。この前の戦で新たにわが国の領土となった地の、名士の姫君というのがそのひとだったのだ。政略結婚など…と思っていたが、知ってびっくりしたよ。運命的な出逢いというのも、あるものなのだな」
魚の胸中に気づかず、王子は微笑んで続けます。
「…そういえば、あの時、川の中で誰かが、私を岸に運んでくれたような気がするのだ。気を失っていたから定かではないのだが…あるいは、私が助かったのは偶然ではなく、川の守り神が助けてくれたのかも知れぬな。なぜだか、おまえを見ているとそう思えるのだ。戦場で突然現れ、私を救ってくれたおまえもまた、この国の守り神のようだからだろうか」
そう、確かにそれは魚のことなのです。守り神、というほどのものではなかったけれど、もういつからかわからぬほど長い間あの川に住み、人の言葉を解するようになり、そしてあの時王子に恋をして、護り続けてきたのです。
応接の間まで付き添ったあと、中に入れるような立場ではない魚は、城を出ると江のほうへ足を向けました。
胸に渦巻くのは、募る、行き場のない恋情。
魚は、話ができないことを初めて呪いました。
どれほど王子を愛しても、声の出ない魚は、想いを告げることすらできないのです。
あるいは、姿を変えるとき、可憐な少女にでもなっていれば、万が一にでも王子の心が向くこともあったかもしれません。
けれど無骨な同性のこの身は、その可能性さえありません。
江のほとりに佇み、ぼんやりと水面を眺めていた魚に、ふと声がかけられました。
「…どうやら、想いにやぶれられたようですね」
それは、魚を人間の姿にしてくれた、あのなまずでした。
「このままでは、近いうちにあなたの体は泡となって消えてしまいますよ。」
(……消える……?)
「天の理を捻じ曲げた代償ですよ…それが嫌なら、王子の心臓を喰らうことです。そうすれば、あなたは元の姿に戻り、川でまた生きられるでしょう。」
(……なんだと……?)
「どうしますか?叶わぬ恋に死に果てるか、それとも自分の本来の生に戻るのか。…あなたの、選択しだいです。」
それだけ言うと、なまずはさっさと水の底へ帰っていってしまいました。
いつの間にか辺りは夜になっています。残された魚は、沈んだ心を胸に、城へと戻っていきました。
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