婚約の取り決めののち、宴席が設けられたのでしょう、少し顔の赤い王子を寝室へと送り、魚は寝ずの番をします。
やがて静かな寝息が聞こえてくると、そっと魚は寝台に近づきました。
穏やかな顔で眠る王子を見下ろして、魚は昼間聞いたなまずの言葉を思い出していました。
王子の心臓を食べなければ、魚は泡となって消えてしまうのです。

王子は目を覚ましません。
普段は結い上げている少し赤みがかった髪が額にかかり、毛先がかすかに揺れています。
少しあどけなさの残る頬、りりしい輪郭を縁取る髪と同じ色の鬚、笑顔の似合う華やかな顔立ち。


決して手に入らない人…ならばいっそその身を喰らい、永遠に自分だけのものにしてしまおうか……


そうっと指先を王子の胸に置いてみます。規則正しい心臓の鼓動が、柔らかに伝わってきました。
だれよりも愛しい、愛しい人。
初めから、叶うはずのない恋でした。
たとえ、話すことが出来ていたとしても、きっとこの想いを伝えることなどしなかったでしょう。

魚は思います。
自分は、このひとを喰らいたかったわけじゃない、と。
あの日見上げた、空にも水の色にも似たこの人の瞳、その青の中に泳ぎたかっただけなのだと。
傍にいて、自分を見つめ、笑いかけてくれた、もうそれだけで十分だった。
だからもう、あとはただ、このひとの幸せを願うだけ、それだけだ、と。


魚はそっと王子の閉じられたまぶたにくちづけを落としました。
そして立ち去ろうとした瞬間、がたんっ、という音とともに、扉が破られ、数人の刺客が飛び込んできました。


「孫権!死ね!!」


襲い掛かってきた刃を、とっさに魚は自分の体で受け止めました。
そして振り返ると、腰に差していた刀を抜き、一刀のもとに刺客らを斬り捨てました。

「泰!!」

目を覚ました王子が、叫びました。
がくり、とその場にひざをついた魚の体を、王子が抱きかかえるように支えます。魚の背中には、何本もの剣が刺さっていました。

「泰!しっかりしろ!!今、助けを……!!」

目の前で悲痛に叫ぶ王子の顔を見つめて、魚は微笑みました。


どうせ、泡と消え行くだけのこの命、あなたのために散らせたのなら、なんて幸せなことだろう。
天の理に背くことであったとしても。
あなたに出逢えて、あなたを愛して、本当によかった。



『……孫権様……』



低く優しい声が聞こえたように感じて、え、と王子が目を見開くと、



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