後で知ったことだが、これは別に妲己の指示で行われたものではなかった。
あの夜以来、毎晩とは言わないまでも頻繁に呼び出され、相手をさせられているうちにだんだんとわかってきたことがある。
口では孫権に対し「これがお仲間に知られたらどうなるかな」などと揶揄する言葉をかけてくるが、実は奴ら自身も他に知られないようにしていたらしいのだ。
実際、呉軍に送り込まれた遠呂智軍の部隊はいくつかあり兵士も二千に上るが、来るのは、いつも同じ顔ぶれの6人。
そして、そもそも遠呂智軍の兵は基本的に生気に乏しい。妖魔だから当然なのかもしれないが、しかし書物などで見かけたことのある怪異の名をもつ者がいても、伝え聞いた容姿とはまるで似つかぬ平凡な姿をしている。一人ひとり、人格と言えるものはあってもあまり個性がなく、妲己のように強烈な存在感がある妖魔は他には遠呂智自身くらいしかいないようだった。
だから、この男どもは、遠呂智軍にあっては割と特異な存在なのかもしれない。
さらに、意外と言えば意外なことに遠呂智軍は軍規が厳しい。戦場では容赦なく敵を蹂躙するかのように打ちのめすが、戦以外での私刑は固く禁じられているようだった。
それがなぜかは分からない。ただ、それゆえに父をはじめとした囚われの将たちの身柄自体は無事と人質解放の約を信じることができていたのだ。
そうであれば、こんな一介の兵士に過ぎない者どもが人質の命をどうこうできるはずが無い。しかも、反逆の責めを負っているとはいえ、まだ呉の軍勢は各地の反乱軍と対峙しなければならない遠呂智軍にとって有力な戦力といえた。この男どもが孫権の態度を不満に思い孫堅らの処分を上奏したところで、その命が下される可能性は低い。
そうと知っていれば、初めから従ったりなどしなかったものを。
だが、それに気付いた時にはもう遅かった。