手綱を強く握り締めながら、なお思い浮かぶのはかの人のことだけ。
送った伝令を受けて孫権が退却していればいいが、その可能性は低いと周泰は考えていた。
おそらく、孫権は兄と直接対峙するつもりなのだ。全力でぶつかり、そして敗れた時には斬られるつもりなのだろう。今までの全てを清算するために。
(…させぬ……)
孫策軍と孫権軍とに分かたれ相争った二つの孫呉が、再び一つになる時に、もはやかつてに「戻れ」はしないと、どうしても残ってしまう禍根を、自らの命でけじめをつけることで消し去ろうというのだろう。
そして、凌辱の日々にも終わりを告げようと。
あの無抵抗が示していた、積み重なった諦めと、残る唯一の腹心にまで裏切られ犯された絶望は、孫権から生きる気力を奪ってしまうのに充分すぎただろう。それを思えば、周泰の心は罪悪感と後悔に打ちのめされる。
だが、最悪の結末、それだけは、それだけは防がなければならない。
だから周泰は、先刻退いたのだ。
孫権の目の届かぬところで、その命を守って死ねるなら本望だった。しかしその可能性に思い当たったとき、ただ守りたいという想いが周泰の意識を支配し、自責の念をひととき凌駕した。
軽蔑されてもいい、憎悪を向けられてもいい。だが、どんなに拒絶されても、詰られても、その命を奪わせるわけにはいかない。
間に合うだろうか。
…いや、間に合わせねばならない。
さらに馬足を速めた周泰の視界に、孫策の前にうずくまる孫権の姿が映った。
「――――――」
全てが一瞬のことで、しかしやけにゆっくりと感じられた。
割り込んだ馬の嘶き。
振り下ろされる鎖鎌と孤刀がぶつかり合う金属音。
走り去る蹄の遠ざかる響き。
「……周泰!!」
そして今も、あの声だけが耳にこびりついて離れない。