「…………」
未明に発つことになる周泰は、しかし曲がり角で少し思案した後、自室に戻りはせずに歩みを進めた。
この時間、主君はもうすでに休んでいるだろうが、もしも起きているようならば、出立前の挨拶をしておこうと思ったのだ。
居室と執務室とが繋がった孫権の部屋は、回廊を抜けた奥にある。
孫呉が遠呂智の属国になって、もともと都であった建業の城は遠呂智軍に没収されてしまった。城下の屋敷なども当然今はなく、居城に指定されたやや小振りのこの城建物に君臣が共に寝泊まりしている。主家である孫一族と、おもだった将には城内の部屋があてがわれ、その他の兵は城の隣に併設された兵舎に詰めている。
この世界になる以前も、戦の時は砦や出城でそうした生活になることはあったが、今それと違うのは遠呂智軍の監視下にあるということ。
一軍として効果的に動くことを可能にするため、完全に遠呂智軍に組み入れられるのではなく『孫呉』としての自律性は残されていたが、こと孫策離反後は制約が厳しくなった。
昼はずっと討伐戦や軍議で詰めているからともかく、夜に、反逆の企みを図ることを警戒しているのだろう。将らはそれぞれに与えられた居室に半軟禁状態にされていた。
このように夜半、城内を歩くことも久しぶりだ。
前線を形成するための先発隊はもうすでに合肥へと向かっており、順次出発する部隊で騒然としている城門前と対照的に、多くの兵が出払って閑散とした城内奥の廊下に響くのは周泰の静かな足音だけ、のはずだった。
「……?」
それは、常人では聞き逃してしまうようなごく微かな音であったが、周泰の耳には何かが届いた。夜中とはいえ、起きている者もいるだろうから物音くらい不思議ではないが、そこになにか不穏な空気を感じ取って、周泰はそちらに意識を向けた。
数人の話す声…そして、くぐもるような、しかし確かに聞き覚えのある響き。
そっと足音を忍ばせながら、周囲をうかがうと、薄く光の洩れる部屋がある。
わずかにだけ開いた扉の隙間から、中の様子が目に映った瞬間、周泰はためらいなく扉を開け放った。
「…………!!」
そして、それを、見たのだ。