男らが立ち去ると、室内はまるで何事もなかったかのように静寂に包まれた。
口止めをしなかったのは、その必要もないと思ったのか、あるいは実際焦って出て行ったからなのかもしれない。やはり遠呂智軍は恐怖によって支配されているのだな、とどこか場違いなことをふと思った。
「……」
す、と体が離れ、寄せられていた前身がひやりとした空気にさらされて、孫権ははっと我に返った。
反射的に沸き起こった寂寥に、とっさに対応できずにいる孫権に、周泰は床から拾った室内着を肩からふわりとかけるとそのまま手を回して抱き上げた。
「なっなにを、」
「…部屋に…お連れします…」
大丈夫だ、自分で歩ける、と言おうとして、孫権は口を噤んだ。
間近で見上げた周泰の横顔は、重く張り詰めたような空気を纏っていた。既に歩き始めた周泰の足取りは速く、乱暴ではないが隠しきれない憤りがその歩調からにじみ出ていて孫権の言葉を奪う。
先程の言葉とは異なり、周泰がまず向かった先は孫権の居室ではなく水屋だった。
周泰はそれでも孫権をそっと下ろすと、簡素な井戸から水を汲み上げ始める。その様子をぼんやりと目に映しながら、孫権はゆるゆると着物を整えた。
あまりに衝撃的な出来事のせいか、かえって何も考えられない。
うっすらと胸の奥でざわざわしたものを感じてはいても、何もかもが膜につつまれたように鈍い。
「……どうぞ……」
茫と立ち尽くしていた目の前に水で満たされた柄杓が差し出され、孫権はそれを受け取った。
水を口に含み、吐き出す。
もう一度。
再び水で満たした柄杓が差し出され、何度も何度も口を漱ぐ。
喉の奥も洗い流してしまいたくて、こくりと一口飲みこむと、遠ざかっていた感覚が急に甦ってきたように強烈な吐き気が込み上げてきた。
「うっ、ぅぇ、く…ぅ、」
久しく余り食べていないせいか、すぐには何も出てこない。それにもかかわらず吐き気は後から後から襲ってきて、息が詰まってごほごほと咽返ってしまう。
すると、横から手が音もなく伸びてきて、指が咥内に差し込まれた。それが何なのか認識できぬまま、舌の奥根を長い指に捏ねられて腹の奥から大きくえづいた。
「がっ、げ、ぐぅぇ」
周泰の指に導かれ、孫権は濁った音を出しながらその場に嘔吐した。
さらさらとした吐瀉物の、饐えた胃液の臭いに混じって確かに青臭いものが立ちのぼってくる。
「う、ぐ」
鼻の奥に精の臭いがつんと込み上げる。
喉の焼けるような感覚や、もう何も残ってないのになお何かを吐き出そうとする腹のきりきりとした痛みよりも、それだけが気になって、何度も水を飲んでは嘔吐を繰り返した。
周泰のもう一方の手がしゃがみこんだ孫権の肩を支えている、その大きな手のひらの温かさだけが、孫権の意識をかろうじて現実に引きとめているようだった。