「王サマの部屋はここか!……っと!!」
どん、と大きな音を立てて扉を蹴破り入ってきた賊は、室内に人影があるのを見とめるや、何のためらいもなく斬りかかってきた。
「お伏せを…!」
すくんで身動きの取れない孫権様の上に、飛び込むようにして覆いかぶさると、背にざくりと衝撃が走った。
そんなものは気にせずそのまま孫権様を抱き締めて褥の上を転がり、牀台から降りて態勢を整える。
この部屋に続く通路の先に衛兵も、巡回の警備兵もいたはずだがあえなくやられたのだろう。この賊どもの動きは的確ですばやかった。
山越、か。
近くの山岳地帯を根城とする賊の存在を聞いたことがある。統率のとれた大集団で、この城を襲う機を窺っていたのだろう。
とすれば、部屋の外は惨憺たる有様だろう。救援は来ないものと思うべきだ。
奥まったこの部屋に、窓はない。そして君主の寝所ゆえ、外の音が聞こえにくく出来ていたのか。
気付くのが遅れたことを、だが後悔している暇はない。
腕の中で恐怖に固まる体を夜着で包み、額にそっと口付ける。
…大丈夫。貴方にだけは、決して傷などつけさせはしない。
敵と孫権様のあいだに常に自分の体があるように何度も向きを変えて、向かってくる敵の腹に踵を食らわす。
傾いだ体から剣を奪い、一人ずつ屠ってゆく。
今の向きにして俺の目の前、孫権様の背後の敵を一掃したことを確認して、そちらに数歩進んでから振り向き、孫権様を後ろ手に抱いて背後にかばう。
これで、囲いを横から前方のみに限定することができた。いくら城主の部屋とはいえ、寝室にそこまでの広さはなく、すぐ傍に牀台があるため、同士討ちをせずに一度に向かってこれる人数は3、4人程度だろう。それならば、十分対応できる。
攻撃を仕掛けてくる順に、一人、また一人と斬り捨てる。
ただ、立ち位置を変えぬままの身のこなしには限界があった。それに自分の体より後ろに敵刃を行かせるわけにはいかない。致命的なもの以外の攻撃は避けずに受けることになった。
刀を振るう腕の肉が裂かれ、ぷつぷつと筋肉が切れていくのがわかる。
戦場ではいつもそうであるように、全身の感覚が研ぎ澄まされているのだ。
敵の動く気配を感じ、視界の端の揺らぎも見逃さず、攻撃の機会を捉え、剣技を制御しながらも、
同時に背の、かたかたと震えながらそれでもしっかとしがみつく体を意識する。
「………幼平…」
音になるかならないか、というところのごく小さな声も、聞き逃すことはない。
この状況では仕方がなかったが、ばくりと傷口の開いたであろう己の背に孫権様を寄せてしまうのは申し訳なかった。敵の返り血と俺の血で汚してしまう。それに、孫権様は、俺の傷を見て泣いてくださっておられる。しがみつく力が強まり、暖かな涙が背を伝うのがわかった。
淡い吐息。
おそらく最初に受けたものであろう一番大きな傷を塞ごうとするようにあてられる小さな手のひらの熱。
その脇の傷に這わされる濡れた舌のぞわりとした痛み。
…あぁ
そのようなことをされては、声を上げそうになるではないですか…
向かってくる敵の粗野な殺気と、
己の心臓の躍動と、
部屋を包む無数の荒い息遣い、
やさしい貴方の唇の柔らかさ、
涙に濡れた睫毛のひそやかな愛撫に、
腕や肩に受ける刃傷の感触が溶け合って…
これは、なんという恍惚か。
貴方の為に付く傷は、苦痛よりむしろ甘やかな悦びをもたらしてゆく。
おびえた顔の貴方を抱き。
また、二度、三度。
一太刀ごとに傷から焼けつく快感が走る。
…射精してしまいそうだ―――――
全身に帯びた傷口から溢れ出た己の血が、体の中心を赤く染めてゆく。
なまあたたかな液体が局部を流れ落ちるその感触に、ぞくぞくするほどの快感を覚えた。
その、滾る腹の奥の熱を込めて声を押し出し、言葉を紡ぐ。
「…触れさせん…」
貴様らなどに、この方に触れさせてやるものか。
俺がかつてこの手に抱いた中で、唯一、価値あるもの。
いずれ天を戴き天下を足元に置くことのできるだろう唯ひとりの高貴。
貴方のために、俺はこの命を投げ出すことにひとかけらの躊躇いも無い。
刃を受けとめ、笑みさえ浮かべているだろう俺に動揺したのであろう賊どもがじり、と半歩引いたその隙を逃さない。
一薙ぎして、眼前の敵を斬り散らす。
背に寄せていた孫権様を胸に抱え直し、前に出来た空間を一気に走り抜けた。
火に包まれた回廊を過ぎ、中庭を横切り、扉を抜けて城門へと向かう。
逃げることに集中するため、前に立つ者のみを斬り、他は無視する。脇を掠める刃など、今更気にするまでもない。
どこもかしこも敵で溢れていたが、腕に抱いた至高の光を、奪わせないことだけが今の望みだ。
肉が裂かれ、矢が突き刺さっても、それが貴方に当たらなかったことが嬉しくてたまらない。
走る足が地面を蹴るたび、血がどんどん流れ出しているのだろう。体温が失われゆく体を自覚する。
馬を見つけ孫権様を乗せて自分も後ろに乗った後は、ただひたすらに退路を目指した。
命が少しずつ刻まれて、ばらばらと零れ落ちてゆくように感じる。
それと引き換えにたどり着いた避難の地。
その丘の上で、ぐらりと己の体が馬の背から落ちて地面につくまでの一瞬の間に、俺は、幸福とはこれを言うのか、と思った。
貴方の為の命の終わり、あるいはそれは目眩めく絶頂に果てる時に似ていた。
次頁 前頁