その夜。
 俺は城内の見回りをしていた。
 砦の警備が不十分なのは事実だ。だが、孫権様がそのままでよいとあくまで仰るのだから、それ以上何も言うべきではない。俺が警護をすることで補えばいい。そう考えて夜警にあたった。
 城の中心、孫権様の寝所に続く奥まった回廊は、灯があるとはいえ、酷く暗い。
 ふと、暗闇にぼうと浮き立つ影が見えた。
 警戒などしない。
 見間違うはずが無い。
 薄い夜着を纏って寝所の扉に肩を寄りかからせ、俺の姿を認めると、ゆっくりとこちらに振り向かれる。

 

 「幼平…」

 

 ゆらりと立つ姿は儚げなのに、
 その瞳は怜悧なほどに冴えきっていて。
 昼間のことが思い浮かび、身体が熱くて眠れぬ、と。
 かすれた声は確かに艶を帯びているのに、
 続いた言葉はあくまで冷たく。
 「お前のせいだ…。」

 

 

 「来い。」

 

 

 絶対君主の詔が降る。

 

 このひとは。普段はそんな素振りを微塵も見せぬくせに。
 柔らかな物腰、控えめな態度、過ぎるほどの気遣いに、自虐なまでの謙虚。
 けれどそのじつ、誰よりも気高き王者の傲岸を身に秘めている。
 初めて会ったときから、時折見せるその高貴が、
  俺を踏みにじるように縛り付けて放さない。
 唯一無二の我が主の命令に、逆らえるはずなどあるわけもなかった。


 

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