大小さまざまの幕舎が立ち並ぶ本陣の裏、うっそうとした林の中、暗闇に微かに蠢く影と吐息の気配だけがする。
さわさわと木の葉が揺れる音がかえって辺りの静けさを際立たせている。
あまりに静かな夜。
「っは…」
長々と絡み合っていた舌が解け、唇が名残惜しげに離れると、濃厚な接吻に上ずった声がぽとりと零れた。
夜警の任などにつくはずもない存在が、しかしこの時間に戦衣のままで何をしているかといえば。
「…あぁ」
これもまた鎧姿のままの偉丈夫の指が喉元をなぞり、鎖骨を爪弾くのに、敏感な様子で反応を返していた。
潤んだ瞳は碧。耳を食む護衛の鼻先をくすぐる髪は紫暗。
紛うことなく孫呉の頭領、孫仲謀その人であった。
立ち並ぶ木々の中、ひときわ力強く聳え立った大木を背に、孫権は愛しい側近からもたらされる愛撫に身を任せていた。
大きな体躯と背に纏う外套で、孫権を包み隠すように立つその男の名は周泰。
幾重にも皮を折り重ねた形をした己の鎧の、角が主君に当たらないように注意を払いながら優しく孫権を抱き締めていた周泰は、ふと右手の指を孫権の左手のそれに絡ませ、ぐい、と持ち上げると曝け出された白い二の腕の裏側に口付けた。
「な……?ぁっ!」
突然のことに戸惑った孫権の声音は、ぞろ、と肌を這った舌の感覚に、一瞬のうちに艶で塗り替えられてしまった。
空いたほうの手で孫権の腰を抱き込み確りと固定して、周泰は、ゆっくりと舌先で孫権の二の腕の筋肉を辿った。
利き腕と反対とはいえ、剣を両手で振るうこともあり、また、手綱を操る孫権の左腕はしなやかに発達して、筋肉のうねりがはっきりと見て取れる。その凹凸、川の流れにも似た溝に沿ってゆるゆると舌を動かしていく。
きめ細かな肌の柔らかさと、その下に張り巡らされた筋肉の力強い硬さ。周泰の舌が、それをじっくりと味わっていく。
びくり、と身を震わせるたびに力がこもり、ぐ、と盛り上がり瘤を形作る内側の、肩から続く美しい三角を描いた外側の、そして雄雄しくもすっきりとした肘上の筋肉を、確かめるように何度も舌で撫で上げた。
上腕部全体を余すことなく舐められる、馴染みの無い感触に頭がくるくると混乱する。その孫権をさらに惑わすことが起こった。
「ひゃぁっ」
歯は立てずに唇だけで付け根近くにかぶりついたと思ったら、ぺろ、と腋の下を舐めてきたのだ。
「周泰っ…!なっに…をっ」
反射的に振りほどこうとした腕は、鎧と黒衣に包まれているゆえ一見そうとは見えぬのに孫権よりもさらに太く逞しく鍛え上げられた周泰の腕によって封じられ、びくとも動かなかった。
ぺちゃりぴちゃりと濡れた音を立てて周泰が孫権の腋を舐め始める。
舌を奥へ押し込むように圧力を加えながら舐めたかと思えば、そろそろと表面を掠めるように舌を動かす。
ちゅうと吸い付いてはくぼみをぐりぐりと舌先で捏ねる。
「ひっ!…か、はっ、くっ…ぅふぅぅっ!」
名状しがたい衝撃に、息が出来なくなる。身を幾度よじっても逃れられない。涙が零れた。
「やめ…っろ…ぅああっ」
ぼやけきった視界でそれでも威嚇するように斜め下にある黒い頭を睨みつければ、上目に合わせられた視線はぎらぎらと光って、まさに獲物を捕食する猛獣のようだった。
ぞく、と背に震えが走る。
すべて、見透かされている。
言葉では抵抗の声を上げながら、もっと嬲って欲しいと心の裏で求めている私の情動を。
周泰は見上げた目をそらさぬまま一心不乱に舌を動かし続けている。
快感、とは決していえない。しかしくすぐったい、でもない。子供の頃兄や妹とふざけて脇や腹をくすぐりあったときは確かにこそばゆさで笑い転げていたはずだが、これは何か違う。
笑いというのは官能から程遠いところにあるものだが、今沸き起こってくる感覚はひどく淫靡だ。
体の奥底にある何かぞわぞわしたものを掘り起こされているようだった。
何度も頭を振る。結い上げた毛先がぱさぱさと額に当たる感覚などこの衝撃に比べればあまりに微々たる物で気休めにもならない。
目を閉じ歯を噛み締め、しかし孫権はそれに耐えるというよりは酔った。
苦しくてたまらないのに、恍惚が意識を埋め尽くす。
「んぁあっ!」
周泰の左手が孫権の中心を撫で上げたとき、そこはすでに硬く張り詰めていた。
腰当てと飾り帯を上にずらし、下衣の前をはだけて直接に指が絡む。
ぴりりとした稲妻のような快感が体内を下から上に向かって駆け上がる。
そこで初めて、腋への刺激が下腹へ熱を送り続けてきたのだということを思い知らされた。
「は、ぁ…っ」
身を捩り、空いている右手で周泰の背にある外套を掻き毟りながら、孫権は思う。
…ああこれは、この男の愛し方そのものだな。
執拗なまでに続けられる腋への甘い呵責。
これならば、孫権を傷つけず、痕を残すこともなく、それでいて限りなく苛烈な責め苦を与えられる。
普段は静かに傍に控える周泰の内に、獰猛が潜んでいることを孫権はよく知っていた。
戦場では特にそうだ。かつては江賊をしていたという過去を垣間見させるような荒々しい戦いぶりは、勇壮だが剣呑で、どこか野生を匂わせる。
誰もが認める忠義の鑑、孫権にどこまでも従順で慎ましやかな護衛は、しかしその実、ひどく嗜虐的な性質を身に秘めているのだと思う。
けれどそれと同時に、周泰は何があっても決して孫権を害することはない。すべての災厄から、その身を挺して孫権を守る盾のような男だった。
その、優しく包み込むような穏やかな性情と、狂暴なまでに猛々しく激しい性情と、どちらがこの男の本性なのか、などと、悩む必要は無い。
だってどちらも、こんなにも愛しいのだから。
右手を上に滑らせ、兜に覆われた頭を抱くようにして胸に引き寄せば、ようやく腋から離れた周泰の舌がぺろりと己の唇を一舐めした後、顎の裏を辿って孫権の唇を捉えた。
さんざん啼かされ、さらに息つく間もなく口を塞がれて、空気が足りない頭がちかちかする。
それでも孫権は自ら舌を突き出し、周泰の歯がそれを甘噛みしてからきゅうと吸うのを楽しんだ。
絶対的な安全の中で、ぎりぎりのところまで追い込まれるこの感覚を、無論、孫権もまた求めているのだ。